玉川上水時間の旅2020.10.4

動画撮影:山岡信貴監督、写真撮影:松井熱、青木計意子、加藤嘉六


10月4日(日)「玉川上水 時間の旅」を開催しました。

10時に鷹の台駅に集合。うさぎ橋を渡って中央公園に入ったところで、リーさんが玉川上水と地球の歴史を重ね合わせた地図(子どもたちと一緒に作ったもの)を見せながら、「46億年を歩く」の説明をした後、地生態学の小泉武栄先生のお話を聞きました。

 

森~草原~新田~都市の渓谷

武蔵野台地は8000年前の縄文時代に、人が森に火を入れることで草原になっていきました。シカやイノシシなどの野生動物を増やすためだったそうです。400年ほど前の江戸時代になると、薪炭を得るためにコナラやイヌシデなどを植林するようになり、玉川上水ができてからは多くの水路と新田が開かれました。玉川上水は上流では水路が浅く、小平監視所の下方で深山の渓谷のようになります。それは、上流では火山灰(関東ローム層)が浅いため深く掘れず、下流の高い段丘では深く削る必要があったからです。江戸時代の人たちは、自然の成り立ちをよく理解して水路を掘っていました。

 

なぜ法面がコンクリートで固められず、歴史的景観が守られたか

次に、東鷹の橋に移動して下をのぞきました。左岸(南向き法面)は垂直なのに対し、右岸(北向き法面)はなだらかな斜面になっていました。1990年代に北向き法面の崩落が続き、コンクリートで覆うべきだという意見が寄せられた時に、小泉先生と学生たちが上水内に入って調査を行い、崩落のメカニズムを明らかにしました。崩落の原因は、1965年に水が流れなくなってから北向き斜面で発生するようになった霜柱でした。しかし、上部の土砂が少なくなることで落ち着いてきたため、小泉先生らは「ほとんどの場所はコンクリートで固めなくても大丈夫」という報告書を書き、そのおかげで玉川上水の歴史的景観が守られました。

 

都市のいきものたちが逃げ込んだ玉川上水。横断する道路計画を見直せないか?

それから玉川上水を少し東へ移動し、道路計画がある場所で、計画見直しのための市民活動を続けている市議の水口和恵さんのお話を聞きました。都市化が進むにつれて玉川上水はいきものたちのレフュージア(避難場所)になり、その自然はますます重要な存在になっています。道路ができればその希少な価値が損なわれてしまいますが、そうならないようにするよい方法はないものでしょうか。

 

自然度の高いクールアイランド

このあたりは玉川上水と新堀用水が並行して流れ、2本の水路に挟まれた遊歩道はクールアイランドになっています。その涼しさと湿度のおかげで、トチノキ、クマシデ、イヌザクラなどの山の木、カタクリ、イチリンソウ、キクザキイチゲ、ホウチャクソウなどの山の草花が生育できるというお話が小泉先生からありました。花には昆虫が集まり、鳥たちが運んだ種が時間をかけて大きな木に育ち、木陰を作っています。再びうさぎ橋まで歩きながら、ここは玉川上水の中でも最も自然度の高い重要なポイントなのだということが腑に落ちていきました。  

足達千恵子

開催趣旨

私たちが学ぶ世界の歴史のうち、人の記録はほんのわずかです。それ以前の歴史は、あたかも見てきたかのように紹介されていますが、全て地面の中に隠されていました。今回は、「武蔵野台地の地質の話を聞いて、時間の旅をする。」という試みです。こども達には、玉川上水ができるまで、ここには人が住めなかったということだけでも知ってもらいたかったのです。

 

水は人を含む全ての生き物にとって欠かせないものです。物質循環をするためには、それを溶かすことのできる水が必要だからです。物質が循環することによって、生きものは生きている。そのことを突き詰めていくと、人・生きもの・自然との関係がより分かりやすくなっていくと思います。   

 

リー智子

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